詳細な5月27日

 

絵の仕事をして、教習所へ。高速教習。

今日担当してくれた教官、勇ましいキリリとした女性、とてもよかった。

 

教習中わたしが最も苦手なのは、なにか間違った行動をわたしがしたときに

「どうしてそんなことするんですか?」

と、反射的に教官に質問されること。

そもそもどうしてそんなことをするのかわたし自身わかっていないから

そんなことをするのだと思う。と、いつも思う。が、言えない。

それに、質問した側もわたしからの答えを期待しているわけでない、とも思う。

もし、その質問に返す言葉があるとすれば

「それは、あなたが教えてくれたことをわたしは忘れたか

理解していないからです」しかない。

つまり「なんでそんなことするんですか?」は

「おまえ、アホか」とつっこまれているのと同義だ。

そのことが体感的にわかるので気まずく黙ると、

つづけて「さっき、こうしなさいと教えましたよね」と、同じことをまた教えてもらう。

そうだ、そうしなければ。と心に刻む。

 

そして、またそういった場面に出くわすと

まんまとわたしは、同じような間違いをおこすのだ。

すると「あなたさっきわたしの話聞いてなかったんですか?」と聞かれる。

「やっぱりアホなのか?」と。

「聞いていたんですが(はあ、アホなんでしょうか…)」と答えると

「じゃあなんでそうしないんですか?」

と、また聞かれる。「わからなければ、どこがわからないか聞いてください」

とまで言ってくれる。

はい、教官。

今も昔も出来ない生徒はこの一点によって出来ない生徒なんです。

 

「わたしは、わたしのわからないところが、わからない」

(人生の話のようでもある)

 

今日の教官は、ちがった。

わたしがなにか間違いをおこすと、

わたしに「なぜそんなことするんですか?」と聞く前に

「なぜ、この人はこういう間違いをするんだろう?」

と、検証し、分析して対策をたててくれる人だった。

 

「さっきの行動は間違いだということは認識してますね?」

「はい」

「原因はおそらくここで混乱しているからです。

では次には、ここをこうして、ここをこうして、

それからさっきのことをやってみましょう」

 

そしてその人は、どんなときも教え方に過剰な熱がなく、淡々としていた。

淡々としている人、ありがたい。

体をストイックに鍛えてそうな人だった。スポーツを長年やっていそうな…

頭のいい、体の頭もいい人なんだろうなと思う。

 

家に帰ると、シャワーを浴びて、寝た。

緊張したので、つかれたもよう。

夕方からは先日の鶴川イベントの打ち上げ。

 

夜遅く、家人に「今日担当してくれた教官がよかった」と話す。

家人が「その人、男の人?女の人?」と聞いてきたので

「女の人」と答える。

こういう人に会ってよかった、という話を家人にすると

必ずその人の性別を聞かれるな、なんでだろう、とそのとき思う。

 

後になって、わかった。

普段わたしがそういうことを気にしているからだ。

わたしが気にすることは、わたしが気にしてることなんだ。

わたしがするわたし以外の人の話も、

極論だが、すべてわたしについての話なんだと思う。