Christie Williams

 

クリスティはうっとうしい女だった。

 

クラスのみんなの間では、とっくの昔に

クリスティはうざい奴、という厳然たる認定が成されていた。

当時まだみんな5歳かそこらだったが、

5歳の世界にだって社会はある。

特にそして、女社会とは過酷である。

それを知らなかったのは、英語をしゃべれず転校してきた

ただでさえボンヤリしている、異国から転入してきたばかりの私だけだった。

 

最初は、何もわからずオロオロしていた私に

やたらと話しかけてくれる親切な女の子、と私は

クリスティのことを思っていた。

それが2、3日たつと、ちょっと席を立つだけで

「どこ行くのっ!」と目くじらたてて詮索してくるわ、

必ずトイレにはついてくるわ、

さらにトイレから出てくる私の手を強引にとり、

ガリガリと不器用に洗ってくれようとするわ、

唾がたれるほどのねちっこいキスをほっぺたに無理矢理してくるわ、

私が家に帰ろうとすると「ダメよっ!!エツコはあたしんちの子になるのっ」

といって跡が残るほどきつく私の腕を締め上げたりするわ、

そんな数々の子どもらしく可愛らしい駄々を受けるにつけ

私は短い人生で、初めて

「うざいわ、こいつ」

という大変ネガティヴな感情を人に抱くに至ったのだった。

 

そんなクリスティに、ある日むりやり拉致されて

彼女んちに遊びにいかされたときのこと。

 

彼女と私は、なんでか一緒に風呂に入っていた。

たぶんクリスティの発案で「風呂であそぼう」とか何とか、

何かしら強引な流れがあったのだと思うが、

そこで彼女、あるひとつのことを私に強要してきた。

 

「エツコ、キスして。ほっぺたじゃダメ。唇にして」

 

彼女は、本気だった。

5歳といえども、性欲はある。よくわからんが、ある。

そんでなぜかそれが、彼女の場合はそのときの私に向かっていた。

瞬間的に、やばい、これは非常にやばい、と私は思った。

あまりの恐怖に、実はそのあとの記憶があまり無いのだが、

「勘弁してくれ」とばかりに私はきっと泣き、わめき、家に帰らせてくれ

お願いだから!!と力のかぎり日本語で叫び、騒ぎを聞きつけた

クリスティのママに助けられたのだと思う。

 

それからの私は、なるべくクリスティに近づかないようにと

細心の注意をはらって学校生活を送るようになる。

 

そしてクリスティが近づかない私には、誰も近づかなくなった。

英語が人並み以上にしゃべれない私といたって、

ふつうクラスメイトはおもしろくないのである。

そのうえ、私は父の会社の計らいで

その国でもかなり裕福な階級に属する子しか行けないような

お嬢様学校に通っていた。

そういう上品な階級の子は、どこの馬の骨ともわからない

エイリアンにはそう心を開かない。

 

だから私はいじめられることもなかったが、誰とも仲良くもならなかった。

 

そのような日々が、3年間つづいた。

3年つづいて、あっさりと私は父の次の転勤で

自分の生まれた国へと戻ることとなった。

するとクラスメイトはみんな「手紙をちょうだいね」と

涙ながらに自分の住所を書きつけたメモを私にわたし、ハグしてくれた。

 

それから日本に帰り、一人一人に「元気です」と手紙を書いたが

誰からも返事はこなかった。

 

ただ一人、しばらくしてクリスティからだけ返事がきた。

飼っている犬のこと、新しくできたボーイフレンドのこと、

新体操をはじめたこと、どれだけ彼女が私をなつかしく思っているかということ。

 

そういった内容の手紙とともに、何枚かの写真がはいっていた。

彼女がボーイフレンドらしき男の子と顔をよせて笑っている写真と、

レオタード姿の彼女が、ぶさいくなチワワを抱きしめながら

彼女んちのトランポリンの上で満面の笑みをうかべ

180°開脚している写真。

 

それらを見て思った。

あいかわらずクリスティは、うっとうしい女なんだな、と。

 

結局そのあと、彼女とは10年ちかくも文通がつづいた。

私が関係をつくった、異国の唯一の友だちである。