ねずみ

 

「ねずみ」は自分のずいぶん昔の友だちだ。

 

「ねずみ」は、どう見ても作りの荒い

ハデな色のうさぎのヌイグルミだった。

だけどとにかくそいつは自分を「ねずみ」と名のったし、

自分もそう呼んだ。

 

「ねずみ」は夜になると自分の部屋にはいってきた。

そして安いタバコをうまそうにふかしながらいろんな話を喋りちらした。

芸術の話、神話の話、昔の坊主のエロい話、

砂漠を歩いていった猫の話、森羅万象にまつわる様々のこと。

 

だけどまあ、ほとんどは女の話だ。

そういう話をするときの「ねずみ」はケモノ臭さがいっそう増した。

「ねずみ」は女の話ばかりだ、とあるときいったら

「ねずみ」はこういった。

 

「おまえはまだこどもだからなあ。

例えばだ、おまえの時分の性欲なんて

己れの気持ちひとつで乗りこなせる自転車のようなもの。

それが思春期過ぎてみろ、乗りこなしていたはずの自転車に

いつのまにかターボがついてやがる」

 

あるとき、「ねずみ」が暗く沈んだ顔でやってきた。

「ねずみ」の大事な友だちが亡くなったのだという。

自分は、どうしたらいいかわからず、

たまたまその頃学校で習わされていた「みかぐら」という

おかしなダンスを「ねずみ」のともだちのために踊ってやった。

頭を空っぽにして、ただただ、激しく踊ってやった。

汗が滝みたいにふきでて「ねずみ」の体に

バシバシとあたる音を自分は聞いた。

「ねずみ」はなぜか、涙をながしてたいそう喜んだ。

それから「ねずみ」は自分に一目置くようになったと思う。

 

だけどそれからすぐ「ねずみ」は自分の部屋に来なくなった。

以来「ねずみ」とは会っていない。

 

自分は何か「ねずみ」をうざがらせることを

してしまったのかもしれないと思うが、

それも「ねずみ」のことだ、

永遠に「ねずみ」にしかわからない理由なんだろうとも思う。

 

そんな「ねずみ」が自分の部屋に残していったものが

2つだけ、今もある。

 

中島らもの『頭の中がカユいんだ』の文庫本と、

ローリング・ストーンズのグレイテスト・ヒッツ。

 

中島らもは、いかにも繊細で泥臭い「ねずみ」らしいけど、

ローリング・ストーンズの方は、

グレイテスト・ヒッツを選ぶあたりが

洋楽音痴の「ねずみ」らしくて笑ってしまう。

 

で、何が言いたいかというと。

うさん臭いハデなピンクのうさぎみたいなの、

まだいるかどうかも分からないけど、

もしどこぞの街で見かけたらタバコの1本もあげてやってほしいんだ。

子どもの頃に世話になった、友だちなんだ。

「ねずみ」っていうんだ。