MARUUという名前は、父方の祖母からいただいている。
彼女の名前は『まる』だった。
「丸い」という意味ではない。
「。」の、まる。
「ジ・エンド」の、まる。
「これで最後」の、まる。
「終わらせる」の、まる。
祖母は、生まれたとき6番目だか7番目だかの子で、
「これ以上の子どもの誕生は、断固ここで終わらせる」という
祖母の父の意思表明として、その名がつけられた。
どの家族も貧乏子だくさんで、今よりもっと
長男以外の子らの扱いが雑だった時代の話である。
名前のつけ方も、雑だった。
ちなみに祖母は結局、末っ子にはならなかった。
祖母は末っ子にこそなれなかったが、事実いろいろなことを終わらせた。
結婚するまでの看護婦時代には、人々の苦痛を終わらせた。
戦争があって、いろいろなことがあった中で、祖父の故郷との因縁を終わらせた。
わたしの父のもとにやってきて、孫であるわたしの孤立を終わらせた。
屋号を考えたとき、まっさきにわたしは祖母の名の「まる」をつけようと思いついた。
祖母と過ごしたわたしの子ども時代は、
わたしのお絵描き人生に燦然と輝く無類の黄金時代だったのだから。
編み物をする祖母と、熱いストーヴの間に寝っ転がって
絵を描くことが、至上最高のよろこびだった。
「まる」というやわらかな響きも好きだった。
そうして、彼女の名前をわたしの屋号にして数年がたった頃、
わたしはある日、その名前のほんとうの意味にはっと気づいたのである。
「まる」は「終わらせる」の「。」。
祖母はかつて、「終わらせる」手段として看護婦や母の道を選んだが、
わたしも、絵を描くことで「なにか」を終わらせるために
この名前をはからずも選んだのかもしれない、と。
「なにか」とはたぶん、言語化できないようななにか。
「まる」は「終わらせる」の「。」。
そうしてほんとうに、なにかを終わらせたときは、
すべてがつながって、まるい円になっているといいなと思う。
それが、わたしがこの名前にこめた望みなのだと思う。