外国へ行くと必ず中国人とおもわれ中国語で話しかけられる。
台湾でもバリバリ中国語で話しかけられ、道なども聞かれていたもよう。
さらに道ゆくおばちゃんらやおばあちゃんらが私の母そっくりで、
とてもひとごととは思えなかった。
台北の竹下通りのような街の真ん中には秋葉原のような電化ビルがたくさんある。
そういった場所の最上階にある飲茶屋で、賄いのごはんをダラダラ食べてたおばちゃんなんか
マックスで、私の母そっくりであった。
顔や動作は品がいいのだが、やることが妙におおらかで雑な感じというか、
全体の雰囲気がとても母に似ていた。
母方の一族は、さかのぼったら台湾からきた人々だったのかもしれない。
公園では、車椅子におじいちゃん、おばあちゃんらを乗せて
タンクトップにホットパンツの若い家族が、
甘いお茶をたらたら飲みながら(台湾の人は甘いお茶をよく飲んでいる)
散歩している様子を、よく見かけた。
おじいちゃんらがヒザの上に抱えるラジオからは、地元の演歌が爆音で流れていた。
公園やひとんちに植わった木が、さらっとアコウだったり沙羅双樹だったり
ドリアンだったりした。甘いジャスミンの香りもした。
街のいたるところにある小さな赤い寺は、どこも線香のいい香りがして、
行くと落ち着いた。
ある朝、ホテルから歩いて数分の寺の前でぼんやりしていたら、
突然クライスラーのカンシオンが、街のどこかから聞こえてきた。
なんてすてき、きっとここの商店街の有線放送だ
アジアの小さな寺とクライスラーのカンシオン、
なんて優雅で妙なる組み合わせだろう。
感動して、しばらく動けなかった。
こういう瞬間があるから旅をするのだと、しみじみ思った。
あとになって、わたしのiPodが間違ってポケットの中で作動してしまい
クライスラーが流れたことが判明するのだが、
やっぱりあれは、旅の魔法の瞬間だったと思う。